第九話

「ちょっと待った」

長かった数学が終わった休み時間。当番の日直が黒板消しを持ったのを見て慌てて止めた。

「え?」
「これまだ写したいから、俺が消しとく」

教卓の上にノートを広げる。ガリガリとシャーペンを動かすと、日直は納得して自分の席へと帰っていった。

「あれ、何してんだろ高耶」

背を向けている方で譲の声が聞こえる。

「どーせ赤点がやべぇんだろ」
「あ…次のテスト赤点だと夏休み補習じゃなかったっけ」
「まじか。まぁ俺には関係ないけどね。どっかの誰かと違って優秀だから」

くそ、聞こえてんだよ千秋の野郎。わざとらしいっつーの。

「おーい。この俺様が教えてやろっかー?」
「っせーばーーか!」

振り向かず、手と目だけを動かすことに集中する。
正直サボっていた分まずい。基本のところは何とか解るが、今日やった応用問題は教科書を見ても全く解らなかった。

千秋が黒板の前に立つ。

「諦めてもう俺に泣きついてこいや」
「見えねえからどきやがれ」

確かに千秋は数学の成績がかなり良いが、こいつに頼るのは最後の手段だ。俺にもプライドってもんがある。

背中に隠れる問題を必死に覗き込んでいると、クラスの女子が申し訳なさそうに声をかけてきた。

「…あ、あの千秋くんっ。バスケ部の先輩が呼んでるよ」
「あぁ?またか」

千秋が面倒くさそうに頭を掻く。何だか分からないが邪魔する奴がいなくなってせーせーしたぜ…

「解らないところがあるんですか?」
「うわあああ!」

突然の顔面ドアップに思わず飛び上がった。

「おおお脅かすなよ直江!」
「すみません」

高い位置にある顔が可笑しそうに目を細める。

「教えてあげましょうか」
「いらん」
「遠慮しないで仰木さん」
「結構ですセンセイ。つかあんた数学教えられんのかよ」
「愚問ですね」

直江が長身を折り曲げてノートを覗き込む。

「ここの例題、どの公式使うか解りますか?」

握っていたシャーペンが奪われ、大きな手の中に収まった。
サラサラと綴られる少し神経質そうな文字。

手の動きに合わせ、柔らかい髪が頭をかする。

「…」
「これをここに代入して…――高耶さん」
「…え!?あ、なに」

顔を上げると直江が真っ直ぐこっちを見ていた。暖かい日を浴びて、鳶色の瞳が淡い虹彩を放つ。

「お弁当美味しかった」

周りに怪しまれない程度に顔を寄せられ、低い声が鼓膜をくすぐった。
教室の喧騒がどこか遠くに聞こえる。

「…もう食べたのか」
「ええ。昼に会議があるんで」
「そっか」

あんなんで喜んでくれんのか。ほぼ昨日の夕飯の余りなのに。
いつも思うけど、こいつって意外と安い舌だよな。

「いつもありがとう」

…今ぜってえ顔赤い。


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